博士の地下室





スポンサーサイト :: --/--/--(--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. スポンサー広告

メモ:町内にあった貸本屋について :: 2013/04/06(Sat)




 貸本屋、についてメモ。

 私の住んでいる町にあった貸本屋について思い出しながら書いてみる。
 上の店内見取り図を見てね。

 入り口はガラスの引き戸になっていて、左側が出入り専用。右側は開かないようになっていた。
 ABCDと本棚が並び、店の奥中央に銭湯の番台のような感じで店主(老婆)がすわっていた。
 貸本料金は覚えていない。
 
 この店の存在を知ったのは昭和47年。生まれてからずっと同じ町に暮らしていながら、
 小学校の同じクラスに転校してきた女の子に教えられるまでこの店の存在を知らなかった。
 まんがマニアのYちゃんに連れられてここを利用するようになったのですが、
 とにかく陰気くさい店で…。本もボロくて汚れて、触りたくない雰囲気だったので
 あまり通うことはなかった。
 気がついたら店は閉まっていた…。

 Aの棚には新しめの少女マンガのコミックス。
 Bの棚にはその当時すでに時代遅れな少女向け貸本が。
 少年マンガもあったかもしれないが、よく思い出せない。
 Cの棚が少年マンガのコミックスだったかも。

 Dの棚には大人向けのいわゆる「劇画」の貸本がぎっしり詰まっていた。このコーナーから
 漂う暗く重苦しいオーラがこの店全体を支配していた。いちどどんな本があるのか興味しんしんで
 番台のババアの前を通りすぎてDコーナーに入り込んだら、いつも陰気くさいババアが突然
 「アンタ、子どもがそっち側へ入っていいと思てんのんか!」と大声をあげたので泣きそうになった。

 そういえばここのババアは町内で唯一大阪弁をしゃべる人だった。
 「貸本屋」という商売スタイルは昭和27年ごろから関西で急速に伸び出し、昭和31,2年頃には
 貸本専門出版社の数がピークに達したとか。
 その貸本マンガの中から新しい表現「劇画」が生まれたことは
 マンガ通な方ならご存知かと思われますが…

 貸本屋と専門出版社は昭和35年ごろには衰退を始め、TVやサンデー・マガジンなどの
 週刊マンガ雑誌におされて昭和40年代にはほぼ壊滅した、とものの本にあるので、
 この店はずいぶん頑張ったほうだと
 思う。ここのいじわるババアも関西で商売にならなくなったので横浜に流れてきたのか、
 それとも貸本全盛期につてをたよって横浜で商売をはじめたのか、この店がいつから
 この町内にあるのかわからないので不明。

 この店で借りた「ポーの一族」が私の初めての少女マンガ体験だったなあ。
 Aの棚の少女マンガを知ってしまえば、Bの棚の「お涙頂戴母恋いドラマ」や
 「バレリーナになりたいみなしご少女」みたいな古色蒼然とした貸本少女マンガなんか
 ばかばかしくて読む気にはなれなかった。

 しかしDの棚のある一角にこもっていた暗い重苦しい空気はなんだったのだろう。
 もう誰も借りる人がいなくなってたなざらし状態になってしまった、
 「貸本劇画」の怨念のようなものだろうか?
 
 ババアにじろじろ見られたり怒鳴られたりしながら本を借りるのはいやなので、
 私は商店街の中の古本屋で1ヶ月くらい前のマガジンを買ったり、
 伯母の経営する理髪店に毎週並ぶ新刊のサンデー・マガジン・ジャンプを読みふけっていた。
 (伯母さんの優しさに感謝。商売の邪魔だったろうに…)

 転校生のYちゃんはマンガについてやたら詳しくて、「ルパン三世、ってマンガが面白いんだヨ!」と
 いって私と二人で漫画アクションを買いに行き、本屋のおばさんに「あんたらそんな本買って、
 お父さんお母さんに怒られないの?」なんて説教をうまくかわしたり、子ども向けじゃない
 江戸川乱歩の小説を貸してくれたり、妙に大人っぽい子だった。Yちゃんにもう一度会いたいな。


 (参考文献:「幻の貸本マンガ大全集」文藝春秋編)
 
 
 
 
 
スポンサーサイト
  1. | trackback:0
  2. | comment:2
<<# 夢:30/10/2013 | top | 2013年のこのごろ>>


comment

ayako様

ayako様:
コメントありがとうございます。うちの父は今90歳で、肺塞栓のため常に酸素マスク装着状態です。
また狭心症もあり、発作をたびたびおこします。昨年夏から有料老人ホームに入居してもらっています。
旭硝子時代のアスベスト被害については、検査をしましたが肺塞栓との関係は不明でした。
父も記憶がだんだん薄れてきつつあるので詳しいことを聞いてもわからないと思います。
父と母の自伝(自費出版)があるので読み返してみましたが、『…作業中は顔をタオルで覆い、』とあります。
昭和の高度成長期で日々増産の工場ではマスクなどの防塵措置がとられていたとは思えないですね。
この自伝は兄の勤務先の会社がテストケースとして制作したもので、まだ家にいっぱい残っているので
よろしければ1冊差し上げますよ。それなりに面白いです。
  1. 2013/04/22(Mon) 15:09:56 |
  2. URL |
  3.  望二花(もにか) #-
  4. [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2013/04/18(Thu) 16:44:08 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

comment


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://funcheerfuljff.blog65.fc2.com/tb.php/838-f9771523
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。